びりびり

ただの都民に住むただのOLのただの日記帳

キスフレってワードを見つける。

 
 
 

なんか友達からそういう付き合いが流行ってるとか聞いた。

言葉だけ聞くとありえねーってかんじだけど、よく考えると変なもんでもないな。と、自分の交友関係を考えて思った。

友達で、キスしちゃうくらいまで異性として意識くらいするんだけど、それ以上いくとちょっと面倒。だけど友達は辞めたくないなって相手は何人か居た。

あれがキスフレだって言うなら、最近流行ったんじゃなくて、私みたいな貞操観念の強くない人間にとっては昔からある付き合い方のひとつなんだよな。

最近流行ってきたってんなら、キスフレって関係を前提に対人関係を築く連中も増えて行く。何処まで流行るかは分からないけど、キスフレってカテゴリーが出来あがってしまったら、もっと附抜けた国になってしまうんじゃないかな。と、思いきやネットに転がるこんなブログを見るとそうでもないのかななんて思えたりもする。

このサイトに書いてある通りの効果が私にもあったかと言うと首を傾げてしまうけど、どっちつかずの曖昧さが心地良かったのは確かだし、精神的なゆとりから何らかの変化があった…といえばあったような気がする。

異性として意識してもらう事から生まれるゆとり

ってのには心から納得。って事はやっぱり精神的に良い働きはあったんだろう。

しかし、こういうのって進んで作るんじゃなくて自然な成り行きで形成されるんじゃないんだろうか。キスフレになろうよ!なんて言われて引きはしないけど、なんだか特別性を欠くような気もしなくもない。出来ればひとつのワード、カテゴリーとして定着して欲しくは無かったかもしれないな。

けど、最初から「キスフレになりましょう」で始まる関係ってどんな味がするんだろう。新鮮な気もする。とか思ってる時点で私もただのミーハーなのかもな。

 

パルスとサクラ(出会い編)

動物との出会い系サイト。。って言ったら言葉は悪いか。里親募集掲示板。
そこで知り合ったのがパルスとサクラ。二頭ともネザーランドの女の子。
この名前は最初から付いていて、前のご主人さんが亡くなったと同時に
シェルターに預けられたんだそうだ。
当時まだ1歳にも満たなかった同い年の彼女らは、今ではもう6歳。
人間で言うと結構良い年齢のオバさんだね。更年期とか始まりそうな。

子宮摘出や腎不全、鼻涙管のつまりや耳に生えるカビ事件を乗り越えて
今日も元気にムシャムシャと牧草を噛んでらっしゃいます。

そもそもペットを飼うというのは苦手なんだ。
苦手というわけではなく、生き物が好きだからこそ。
小さい頃から出会いのチャンスは何度も何度もあったけど
どうしても招き入れるに至らなかったのは
小学校で飼っていたうさぎの最期の印象が強烈過ぎたから。
飼っていたのは低学年の子達で、飼育当番だった子は
声を殺して、けど抑えきれない感情を嗚咽と鼻水涙に変えて悲しんでた。
さほど交流の無かった私にも、初めて感じる「死」の空気が鼻腔から、眼窩から
流れ込んできたし、思い返すだけで胸の奥に何かドロドロしたものが
堆積していくのを感じた。
ペットセラピーという言葉があるように動物と居る時間は幸せでも、
その分喪失感の反動も凄いもので私が普段からもっとあのウサギに近い距離で
接していたならもう2度と立ち上がれないくらい打ちひしがれてしまうだろうな。

今回パルスとサクラを招くに至ったのは、情に絆されたわけでも
金持ち奥様がそうるように可愛いからとアクセサリー感覚で引き取ったわけでもない。
仕事の関係で閲覧していた某シェルターの里親募集項目に居たパルスが
当時、その死を以て私に動物を飼わないと誓わせたウサギと同じ名前で
しかも同じ柄(ブラックマーチン)だったからだった。
別れの時の事やこれからかかるであろう諸々の料金等の事なんて考える間もなく
私はシェルターに歩いてた。
職員さんに話を聞き、適正の検査を受け、姉妹ではないけどパルスとは
産まれた時から一緒に大きくなったというサクラも一緒に引き取った。

お金はかかった。結構かかった。
手術や点滴、健診や通院には本当にお金がかかって大変だった。しかも二倍。
だけどそんな事は結構どうでもよかった。
そしてその分愛着が湧き、湧いた分だけ「死」を受け入れる覚悟も強くなった。
余計別れが辛くなると思っていたのは勝手なイメージに過ぎなかった。
何度も罹る病気の度に死への耐性がついた。というわけではなく
この子の命が消えるまでに、幸せな兎生だったなと感じ続けてくれるよう
精一杯愛情を注ぐ事で「死」がひとつの過程に過ぎないように思えたからだ。
飼い主にとっても、動物自身にとっても。

そんなこんなで彼女らは今日も元気です。
あ、けどサクラは居ない。今入院中なんだ~腎臓が悪くてさ。

彼女らにだけ目を向けているせいか、愛玩動物関係の問題について考える時間は
ちょっとずつ少なくなって来てはいるけど
やっぱり小型犬を好んで買い求め、世話出来ずに捨てるオーナーの話や
繁殖犬を使ってガンガン生ませ、売れ残ればまた繁殖のためあるいは
廃棄という形で商売をやってる連中の事を思い出しては頭を痛めてたりする。

偏見なのは承知だけど、ただ小型犬をわざわざ買い求める連中というのは
小さくてフワフワしててとにかく可愛いから飼うんだろう。
アクセサリーと同じで、散歩してる自分や一緒に写メに写った自分の
引き立て役としてその種類を選んでるんじゃねーのか。

そんな類の話はまた今度。
これ読んでくれてる人が居たら是非『繁殖犬』で検索だ。